日本シニア卓球協会(卓球バカ)
卓球バカのブログです プロツア-リーグの記録です
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とても機嫌悪い その②
昨日から ネットの中のコ-チの話で
T監督というのが
『挨拶や マナ-なくして 卓球の上達はない』
という言葉に対して それはウソです。 と私は意見を出しました。
挨拶や マナ-はなくても 卓球は上達します。
挨拶やマナ-が 大切だと思っているのは
やっている本人ではなく その回りにいる
コ-チ 監督 親 応援をしている人々が
大切だと思っているのです。
本人は 勝ちたいと思っているだけです。
回りの人々が マナ-をよくするように
プレッシャ-や 教育という名の圧力を加えて
くるので しかたなく マナ-の良いカッコを
しているだけです。
中国選手を見ればよくわかります。
ただ 人として社会生活 クラブ運営 チ-ムワ-ク
それらにより 自分のポテンシャルの150%を出す
為には マナ- 礼儀は とても大切ですね。
ということです。
それから 感謝の気持ち や 人々の応援による念
も勝敗を左右します。
(その結果として マナ-や 礼儀が 上達の為に必要なことは
認めるのです) へんな意味では 認めていることにはなるが!!!!!
そしてマナ-や礼儀がいい選手は人々から尊敬されます。
その関係者は いい気分になることも確かです。
フェアプレイ賞も もらえるでしょう!
いい先輩や監督に かわいがってもらえ
卓球のよいアドバイスももらえるでしょう。
だからといって マナ-や 礼儀をすれば 卓球が上達
するとは 思えないのです。
それに フェンスをけちらかしたり 台の上に載って虚空を指さす
ユニフォ-ム破いたり(何度やっても ナショナルチ-ムを外れない)
以前 世界選手権で同士打ちで敗けろと指示をしたり
清々堂々と試合をして勝った世界チャンピオンをナショナルチ-ムから
外したはずなのに・・・・・
その行為は 私には マナ-がいいなどとは思えないからです。
それを 認めているコ-チや スタッフも含めて。
まわりのみんなも マナ-や 挨拶が大切などと思っていないのです。
そんな やつらが 卓球が上達しているのです。
たぶん 日本人のチャンピオンが出たら ちゃんとマナ-や挨拶を
するでしょう『もう 38年も出ていませんが』
38年も出ていないということは その考えは一般的には間違え
といわれても おかしくはないのかもしれません。
勝者の理論は とても大切なのです。
敗者の言葉は 言い訳となるのです。
言い方をかえれば
マナ-の良い 日本人と
マナ-の悪い中国人が 38年間優勝している差です。
(卓球を政治に使っている人が勝っているのです。)
相撲でいえば 朝青龍です。
相撲は国技だというのは 言い訳となるのです。
そして 強いやつを ケチをつけて追い出した
ということになるのです。
(これからは 卓球だけでなく 政治 経済の世界でも
マナ-の悪い中国が 世界のトップとなるのです)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人は 一芸に秀でた人は 人格者でなければならない。
巨人軍は紳士であれ。・・・・・他 よく言われますが、
たぶん 昔話なのでしょう。
そして 日本人の単なる自己満足となるのです。
なんだか 日本人の代表的な考えみたいだけど
(決して 卓球道などは 認めたくありません)
もともとマナ-というものは 相手の立場にたって
相手に気持ちよくさせる為のものなのです。
試合において 相手の嫌がることをして
勝つのが 勝負師なのに 気持ちよくさせては
精神的に 優位にはたてません。
まあ とても矛盾して スポ-ツマンシップの
正反対なことなのですが もともと剣道も 殺し合いから
始まって いるのに きれいごと 自己満足なことを
言ってもしかたないのです。
(そこにおいて ウソの状報を流したり 相手の弱み 弱点を
つくのは大切なことです)
どうも 宮本武蔵のように 勝ちにこだわるタイプは
現代日本では マナ-が悪いと嫌われるようです。
つまり 『挨拶や マナ-なくして 卓球の上達はない』
などという ウソに騙されないこと。
真実を 見抜く訓練をする 必要があるのです。
100歩 譲ってそれは 個人の答えであり
自分の答えではない 自分の答えは自分で見つけるのだと
答えはひとつではなく たくさんあるのだということに
気がつくということなのです。
卓球は教育の為の道具ではないし
(どうも 卓球コ-チが 学校の先生だったり
元教師のことが多い為 卓球を通して人間を成長させる
ということに 当てはめることが多いようです
本来の 勝つためという本質から外れることが
多いと思います。 また日本人はその道が好きなようです
また その意見に同調する人々が多いのも事実)
同調する人が多いからといって 真実を曲げるのは
それは マチガイだと思っております
卓球は スポ-ツではなく政治だと思っている人もいます。
日本では 卓球をする為の 費用ほとんどは文部省から
でている為 卓球は教育のひとつなのです。
でも 中国は国家予算から出ているため
卓球は政治のひとつなのです。教育ではないのです
卓球は政治ショ-なのです。
勝つことが 国の方針なのです
『国家の方針なくして 卓球の上達はない』
という 人々もいるのです
卓球は 仕事だと思っている人もいます。
ヨ-ロッパのプロ達は 自分の生活の為にやっています。
そういう人達は
『賞金なくして 卓球の上達はない』
またそういう人達が 尊敬される国もあるのです。
スポ-ツマンシップの為にするのではありません。
強くなりたい為 勝つ為に 練習をするのです。
日本人は マナ-や礼儀(教育)の為に卓球をするのかもしれまん。
せめて 人間的成長の為に卓球をするのかもしれません?
お前には 世間の常識は ないのかと意見をもらいました
私にとって『世間の常識』はもっとも痛いところを突かれる
言葉なのです。
結構 『世間の常識』という言葉には つぶされてきた人生
でもあります。ついつい真実はなにかと追及してゆくタイプ
なので どんどん『世間の常識』からは遠ざかります。
ヒ-リング等は最たるものです99%の人には 無関係な世界
なのです。1%の真実の為に 自分の人生や 財産を賭けて自滅して
ゆくタイプというか 性分だから大問題なのかもしれません
そして 解りかけたことは 私に卓球や勝負師の
才能は無いということだから どうしましょう・・・・
それらの価値は 人それぞれによってちがう ということ。
まあ 修行にはなるけれども。
今日の私は 天も味方してくれなかったのですよ・・・・・
今日の私は、卓球コラムではなく 卓球カラムニストなのです。
本日 完敗でした・・・くそっタレ
今日は 敗けて 機嫌が悪いので 本当のことを書きました。
最後に 私はマナ-や礼儀は 大切だと思っております
真面目な日本人は 私の一番好きな人々です
ただ『挨拶や マナ-なくして 卓球の上達はない』
というのが マチガイだと言っているだです。
世界のトッフは マナ-が悪いと言っているだけです
教師は 卓球を教育の道具に使っていると言っていますが
それが 悪いなんて言っていません
(日本の国内事情を考えばほぼ正しい選択)
文部省から出るお金(学校のクラブ活動)と
家庭内英才教育及び卓球塾でなりたっている。
ウソつきだと言っているだけです。
だって マナ-が悪くても 卓球が上達している人はいるじゃん!
真実は卓球を人間的成長としてとらえるよりも
卓球を政治として利用した方が強くなれるということは
事実が証明しているということです。
その方が 朝から晩まで 強くなる為に
練習する選手 コ-チ 監督の人口が 日本の何百倍も
多く確保できるからです。
ここに書かれていることは あくまでも個人的な意見です
昨日から ネットの中のコ-チの話で
T監督というのが
『挨拶や マナ-なくして 卓球の上達はない』
という言葉に対して それはウソです。 と私は意見を出しました。
挨拶や マナ-はなくても 卓球は上達します。
挨拶やマナ-が 大切だと思っているのは
やっている本人ではなく その回りにいる
コ-チ 監督 親 応援をしている人々が
大切だと思っているのです。
本人は 勝ちたいと思っているだけです。
回りの人々が マナ-をよくするように
プレッシャ-や 教育という名の圧力を加えて
くるので しかたなく マナ-の良いカッコを
しているだけです。
中国選手を見ればよくわかります。
ただ 人として社会生活 クラブ運営 チ-ムワ-ク
それらにより 自分のポテンシャルの150%を出す
為には マナ- 礼儀は とても大切ですね。
ということです。
それから 感謝の気持ち や 人々の応援による念
も勝敗を左右します。
(その結果として マナ-や 礼儀が 上達の為に必要なことは
認めるのです) へんな意味では 認めていることにはなるが!!!!!
そしてマナ-や礼儀がいい選手は人々から尊敬されます。
その関係者は いい気分になることも確かです。
フェアプレイ賞も もらえるでしょう!
いい先輩や監督に かわいがってもらえ
卓球のよいアドバイスももらえるでしょう。
だからといって マナ-や 礼儀をすれば 卓球が上達
するとは 思えないのです。
それに フェンスをけちらかしたり 台の上に載って虚空を指さす
ユニフォ-ム破いたり(何度やっても ナショナルチ-ムを外れない)
以前 世界選手権で同士打ちで敗けろと指示をしたり
清々堂々と試合をして勝った世界チャンピオンをナショナルチ-ムから
外したはずなのに・・・・・
その行為は 私には マナ-がいいなどとは思えないからです。
それを 認めているコ-チや スタッフも含めて。
まわりのみんなも マナ-や 挨拶が大切などと思っていないのです。
そんな やつらが 卓球が上達しているのです。
たぶん 日本人のチャンピオンが出たら ちゃんとマナ-や挨拶を
するでしょう『もう 38年も出ていませんが』
38年も出ていないということは その考えは一般的には間違え
といわれても おかしくはないのかもしれません。
勝者の理論は とても大切なのです。
敗者の言葉は 言い訳となるのです。
言い方をかえれば
マナ-の良い 日本人と
マナ-の悪い中国人が 38年間優勝している差です。
(卓球を政治に使っている人が勝っているのです。)
相撲でいえば 朝青龍です。
相撲は国技だというのは 言い訳となるのです。
そして 強いやつを ケチをつけて追い出した
ということになるのです。
(これからは 卓球だけでなく 政治 経済の世界でも
マナ-の悪い中国が 世界のトップとなるのです)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人は 一芸に秀でた人は 人格者でなければならない。
巨人軍は紳士であれ。・・・・・他 よく言われますが、
たぶん 昔話なのでしょう。
そして 日本人の単なる自己満足となるのです。
なんだか 日本人の代表的な考えみたいだけど
(決して 卓球道などは 認めたくありません)
もともとマナ-というものは 相手の立場にたって
相手に気持ちよくさせる為のものなのです。
試合において 相手の嫌がることをして
勝つのが 勝負師なのに 気持ちよくさせては
精神的に 優位にはたてません。
まあ とても矛盾して スポ-ツマンシップの
正反対なことなのですが もともと剣道も 殺し合いから
始まって いるのに きれいごと 自己満足なことを
言ってもしかたないのです。
(そこにおいて ウソの状報を流したり 相手の弱み 弱点を
つくのは大切なことです)
どうも 宮本武蔵のように 勝ちにこだわるタイプは
現代日本では マナ-が悪いと嫌われるようです。
つまり 『挨拶や マナ-なくして 卓球の上達はない』
などという ウソに騙されないこと。
真実を 見抜く訓練をする 必要があるのです。
100歩 譲ってそれは 個人の答えであり
自分の答えではない 自分の答えは自分で見つけるのだと
答えはひとつではなく たくさんあるのだということに
気がつくということなのです。
卓球は教育の為の道具ではないし
(どうも 卓球コ-チが 学校の先生だったり
元教師のことが多い為 卓球を通して人間を成長させる
ということに 当てはめることが多いようです
本来の 勝つためという本質から外れることが
多いと思います。 また日本人はその道が好きなようです
また その意見に同調する人々が多いのも事実)
同調する人が多いからといって 真実を曲げるのは
それは マチガイだと思っております
卓球は スポ-ツではなく政治だと思っている人もいます。
日本では 卓球をする為の 費用ほとんどは文部省から
でている為 卓球は教育のひとつなのです。
でも 中国は国家予算から出ているため
卓球は政治のひとつなのです。教育ではないのです
卓球は政治ショ-なのです。
勝つことが 国の方針なのです
『国家の方針なくして 卓球の上達はない』
という 人々もいるのです
卓球は 仕事だと思っている人もいます。
ヨ-ロッパのプロ達は 自分の生活の為にやっています。
そういう人達は
『賞金なくして 卓球の上達はない』
またそういう人達が 尊敬される国もあるのです。
スポ-ツマンシップの為にするのではありません。
強くなりたい為 勝つ為に 練習をするのです。
日本人は マナ-や礼儀(教育)の為に卓球をするのかもしれまん。
せめて 人間的成長の為に卓球をするのかもしれません?
お前には 世間の常識は ないのかと意見をもらいました
私にとって『世間の常識』はもっとも痛いところを突かれる
言葉なのです。
結構 『世間の常識』という言葉には つぶされてきた人生
でもあります。ついつい真実はなにかと追及してゆくタイプ
なので どんどん『世間の常識』からは遠ざかります。
ヒ-リング等は最たるものです99%の人には 無関係な世界
なのです。1%の真実の為に 自分の人生や 財産を賭けて自滅して
ゆくタイプというか 性分だから大問題なのかもしれません
そして 解りかけたことは 私に卓球や勝負師の
才能は無いということだから どうしましょう・・・・
それらの価値は 人それぞれによってちがう ということ。
まあ 修行にはなるけれども。
今日の私は 天も味方してくれなかったのですよ・・・・・
今日の私は、卓球コラムではなく 卓球カラムニストなのです。
本日 完敗でした・・・くそっタレ
今日は 敗けて 機嫌が悪いので 本当のことを書きました。
最後に 私はマナ-や礼儀は 大切だと思っております
真面目な日本人は 私の一番好きな人々です
ただ『挨拶や マナ-なくして 卓球の上達はない』
というのが マチガイだと言っているだです。
世界のトッフは マナ-が悪いと言っているだけです
教師は 卓球を教育の道具に使っていると言っていますが
それが 悪いなんて言っていません
(日本の国内事情を考えばほぼ正しい選択)
文部省から出るお金(学校のクラブ活動)と
家庭内英才教育及び卓球塾でなりたっている。
ウソつきだと言っているだけです。
だって マナ-が悪くても 卓球が上達している人はいるじゃん!
真実は卓球を人間的成長としてとらえるよりも
卓球を政治として利用した方が強くなれるということは
事実が証明しているということです。
その方が 朝から晩まで 強くなる為に
練習する選手 コ-チ 監督の人口が 日本の何百倍も
多く確保できるからです。
ここに書かれていることは あくまでも個人的な意見です
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